「お葬式をしてほしくない」と考える人が増えてきたそうです。残される家族に、お金の工面から費用の段取り、関係者とのやり取りといった面倒なことをさせたくない、という気持ちからです。
その気持ちは私もよく分かります。もし明日死ぬと分かっていたら、「葬式はいらない」と伝えるかもしれません。お金に余裕のないことは分かっていますし、妻に大変な思いをさせたくないからです。
・・・ですが。これって正しいのでしょうか?
そもそもお葬式をするのは何のためか?と疑問に思うことがあったのですが、意外と多くの方が同じようなことを考えていることに気が付きました。そこで、「お葬式はやるべきなのか?」「お葬式をやる意義とは?」を私なりに解説していきたいと思います。
お葬式をしないことのメリット・デメリットは?
そもそもお葬式って必ずやらないといけないわけではありません。では、お葬式をしないことでどのようなメリットやデメリットがあるのでしょうか?
お葬式をしないメリット
まずはお葬式をしないことのメリットを挙げていきます。
お葬式の費用がいらない
一番に思い浮かぶのはお金の問題でしょうか。
お葬式をするとなると数十万円単位のお金が必要です。まだまだ現金主義の葬儀社も多く、そうなると葬儀費用が払えないという家庭も出てきますね。その結果、お葬式もできずに遺体を自宅に放置したままにしていた・・・という哀しい事件も起きています。
お葬式をしないのであれば、そのお金の工面で悩む必要はありません。遺族の今後の生活費にも使えますからね。
お葬式の手間がかからない
お葬式の打ち合わせや当日の段取りって結構大変です。私も生前から余裕をもって準備したつもりでも、亡くなってからはバタバタの連続でした。そんな大変な作業を自分のためにわざわざしてもらうのはしのびない・・・と考える方は多いようです。(特に男性に多いとか)
しかもお葬式当日だけでなく、その後も香典返しなどいろんな手続きがありますから心休まる暇もないんですね。だったら「いっそのことお葬式なんてしなくてもいいじゃないか?」と、遺される家族の思いやりとしてそう考えるのも理解できます。
お葬式をしないデメリット
一方お葬式をしないことによるデメリットとは、果たして何でしょうか?
遺族の気持ちの整理がつかない
確かに「儀式なんてカタチだけのものじゃないか」という意見もあります。ですが、その型通りに物事を進めることで、例えば結婚式であれば「私たちは本当に結婚するんだな」と実感したり、お葬式であれば「あぁ、この人は本当に亡くなったんだ」と感じるようになります。
人間は、頭で分かっていても心で理解できていないと、気持ちの整理がつかずにとまどってしまいます。お葬式という儀式を通じて、頭だけでなく心から「大切な人を喪った」ことを理解できるようになるのです。
親族や近所からの批判

「お葬式はいらない」とエンディングノートに書いていたからその通りにしたら、後日ご近所さんから叱られたり、親族がかわるがわる訪問してきたので参ってしまった。こんなことならお葬式をすればよかった
意外とこういうケースは多く、面倒事は一度に済ませる方が楽だったと感じるようです。お葬式そのものよりも、実はそのあとの手続きやご近所づきあいなどの方が面倒くさかったりするんですね。
直葬の記事でも書きましたが、お葬式をするのは当然と考えている方もまだまだ多いです。「最期くらい顔を見たかった」「葬式をしないとは何事だ!」とお叱りを受けたという事例もいっぱいあります。
また火葬後に親戚やご近所さんが次々と訪問されるので、そのたびに対応しなければいけないという大変さ。もちろん無下に断るわけにもいかず、しかもお叱りを受けたりするわけで・・・
特に男性はそういった人間関係に疎い(女性に任せている)傾向があるので、エンディングノートについつい気遣いのつもりで「お葬式はしなくていい」と書いてしまいがちです。
「あなたは本当に私たちのこと分かってない!」と嘆く奥さんの顔が浮かびます・・・きっと私もそう言われるでしょうね・・・
※メリットとデメリットを見てみると・・・
こうしてお葬式をしないことのメリット・デメリットを比べてみると
・メリットは「故人の視点からみたメリット」
・デメリットは「遺族の視点からみたデメリット」
と言い換えることができそうです。
なぜお葬式をするのか?
そもそもお葬式をする意味とは一体何なのでしょうか?私は3つの意味があると考えています。
故人の冥福を祈るため
2016年に、群馬県で約8300年前(縄文時代)の「埋葬人骨」が発掘されました。つまり、この時代から日本には死者を大切に弔うという文化があったということが研究の結果明らかになっています。
時代が下るにつれて、ただ埋葬するだけでなく故人を弔う儀式が生まれていき、現代私たちが行っている「お葬式」へとつながっているのです。
カタチは違っても、共通しているのは「亡くなった方を偲び、弔う」ということです。
遺族の気持ちを整理するため
大切な方を亡くした直後は、心の中がぐちゃぐちゃになります。亡くなった時からお葬式が終わるまで一滴も涙は出なかった、だけど何日も経ってから急に哀しくなって涙が止まらなくなった・・・という話も聞きます。
そんなときにただ「遺体の処理」だけしていたのと、お葬式をして「きちんと弔った」と実感できるのとでは全く違います。別に豪華なお葬式をする必要はありません。ただ、大切な人へやれることはやったと納得できる内容であれば良いんです。
お葬式には、遺族の気持ちを整理するという大切な役割があります。
世間に亡くなったことをお知らせするため
神道では「死=穢れ(気枯れ)」と考えます。死者が出た地域は「穢れてしまった」ため、この穢れを払うためにお葬式という名の儀式を行いました。悪い言い方をすれば、亡くなったことを周りに知らせないのは罰当たりだったのです。
現代ではこの神道の考えは薄れてきましたが、例えばお隣の家の住人が亡くなったことをずっと後に知らされたとき、「何も感じない」という人は少数派だと思います。親しくしていた人なら「どうして教えてくれなかったの」だとか、「知らなかったとはいえ普通に接していたから、無礼なことをしてしまったんじゃないか」など、いい気持ちがしないのではないでしょうか。
つまり、亡くなったことを伝えないと周りの人の気持ちの整理がつかないのです。そのためにお葬式をして、遺族以外の方にも亡くなったことを伝える必要がある、ということになります。
個人的意見ですが・・・お葬式をする意義はあると思います
私はずっと故人こそがお葬式の主役だと思っていました。ですが、実際にお葬式をやってみて、またほかのお葬式に参列してきて感じたことがあります。
それは、お葬式は「参列する方」のために行うものではないかということです。もちろん故人の冥福を祈るという前提があっての話ですが。
先ほどもお葬式をする理由として、「遺族や周りの方の気持ちの整理」を挙げました。雑な言い方になりますが、亡くなった人は今後のことを考える必要はありません。でも、残された私たちにはこれからの生活があります。大切な人を喪った、という現実を受け入れながら生きていく必要があります。
その現実を受け入れる覚悟を決めるための儀式がお葬式なのだとしたら、お葬式をする意義はあるのではないか?と考えるようになりました。
私が思う、自由葬や偲ぶ会が増えた理由
「自由葬」というお葬式が増えています。これまでの形式にとらわれないお葬式です。また、著名人だけでなくても「偲ぶ会」も広く知られるようになりました。
故人の好きな音楽をかけたり、野球が好きだった故人を偲んで会場を野球場のようにアレンジしたり・・・
こういう新しい形のお葬式も、根本には「遺族や参列者の気持ちを整理すること」があるのでしょう。「あの人はずっとこの曲ばっかり聴いてたわ・・・」「顔見るたびに野球の話してたよ・・・」そうやって想い出を振り返ることで、亡くなったことを受け入れる準備をしているのだと。
昔だったら理解できなかったと思います。「亡くなった人を茶化してるの?」といい気持ちがしなかったでしょう。(実際、こうした自由葬や偲ぶ会のスタイルが理解できないという方はいらっしゃいます)でも形はどうあれ想いは一緒なんだ、と考えられるようになると理解できました。
まとめ
いつの時代も大切な人を亡くすのは哀しいもの。お葬式は、残された人たちが哀しみに負けないでこれからを生きていくきっかけになる儀式です。
後から振り返ってあのときこうしていれば、ああしていれば・・・とならないように、どのようなお葬式をするべきか(直葬も含めて)余裕のあるうちから考えておくようにしましょう。